授業中、いきなり隣の学生がパンを食べだした。18時過ぎからの講義でお腹が空いたにせよ、それはいくらなんでも…と思った。しかし後から聞くと、「その」時間がラマダン(絶食)明けで、食べなきゃいけないのだと言う。彼女は中国の新疆ウイグル自治区からの留学生で、イスラム教徒だった。

 

50歳の時に北海道大学の大学院、国際広報メディア・観光学院の修士課程に社会人入学した。同期で入学した31人の内日本人は5人で、あとは中国や韓国、ベトナムからの留学生。社会人はオレとひとまわり年下のラジオパーソナリティーをされている女性のみ。他は当たり前だが20代で、しかも女性が多い。

 

海外では学部を卒業して社会人経験を積んでから、また大学院に戻って学ぶという人が多い。いつかは自分も…と思っていた。で、学ぶのであれば、今の仕事にも関係があって興味関心も強い「コミュニケーション」の分野だと決めていた。そんな大学院、あるのかなと思っていたら、なんと北海道大学にあったのだ。

 

ウチの会社のスタッフは皆、在宅勤務で、オレのオフィスも自宅マンション。そこから大学院までは約2km。自転車を飛ばせば10分とかからない、職住学近接という生活が始まった。多い時には週8コマの授業をとりながら、それまでと変わらずに仕事もする。大学まで含めコンパクトに機能が街中心部に揃っている札幌でなきゃ、こんな芸当、オレにはできなかった。

 

国際色豊かな同級生との交流は、前述のようなカルチャーギャップもあって楽しかったが、勉強内容自体も面白かった。授業で、これまで全く縁のなかった社会学もかじれたし、民主主義とメディアやインターネットの関係、リスク社会といった現代的なテーマにも学問的に触れることができた。学部生だった三十年前よりはるかに熱心に勉強したと思う。自分を褒めるほどではないけれど。 

 

長くなった人生で何をするかという議論があり、リカレント教育という言葉も良く聞かれるようになってきた。オレは何歳の人にも大学に行くことを勧める。そこには新しい人間関係と知識を得るチャンスがあるからだ。その点、札幌は職住学近接生活には理想の街だろう。

 

また北海道大学は、なにより素晴らしく美しい。夏には大学を南北に貫く道路沿いにあるポプラ並木が青々と茂り、秋には名物のイチョウ並木が黄金色に染まる。白一色となる冬のキャンパスは、幻想的な音のない世界。そんな中を通学するのも、規模的に小さな学校にしか通ったことのないオレにとっては、心躍る体験だった。

 

修士論文を提出して、昨年3月に無事修士課程を修了。しかしなんだかもう少し研究をしてみたくなり、何年かかるかわからないが、博士課程に進学してみた。論文だけなので大学に通う回数はめっきり減ったが、職住学近接の生活はまだまだ続く予定。このバランスが生活に緊張感を与えてくれると、いささか独りよがりだが、信じている。

 

 

 

 

( 絵 / Midori Kambara )

 

 

 

 

 

 

田中 勲(たなか いさお)

 

有限会社パイン・リンク Director

エディター&ライター業がほとんど。たまに専門学校講師や学生

 

1964年大阪府八尾市生まれ。こう見えても中高はサッカー部。東京の大学と思って一橋大学に入学したものの、学生時代は多摩地区のみを徘徊。1988年(株)リクルートに入社、即リクルート事件の洗礼を食らう。10年東京勤務の後、縁もゆかりもない札幌の北海道じゃらんへ異動。35歳で会社は辞めると決めていたので、2000年札幌でリクルートを退社、有限会社パイン・リンクを設立。趣味は食と酒、映画、テニスなど。昨年から俳句を始めた。

 

関連会社(株)トゥルーフードストーリー ブログ

http://www.choi-plus.com/

 

 

 

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