「理想の畑」に続く道

 

そもそも農家になろうとはこれっぽっちも思っていなかった。

 

 

北海道で生まれ、北海道で暮らす事が出来ればそれでよかった。道内の大学で食品科学を学び、道内の食品会社に就職した。開発部に配属されて新商品の開発と商品改良に携わっていた。このまま会社にいて、部長くらいになって定年を迎えるか、あわよくば早期退職して独立して札幌で飲食店でも始めるのもいいかなと思っていた。

 

そんなボクが千歳で畑を耕して、もう13年になる。

 

きっかけは父の突然の病気だった。心筋梗塞だった。幸いに一命は取りとめたが、父の作る野菜を食べられなくなると思ったら居ても立っても居られなかった。

父は農林省勤めの公務員だった。当時、恵庭にあった農業試験場で馬鈴薯の育種をしていた。試験圃場の一角にかなり大きな菜園を作っていた。父の作る野菜は本当に美味しかった。父がこの世からいなくなる前に、父から野菜の作り方を学ばなければと思った。父の技術やノウハウを絶やしてはならない。自分だけでなく、我が子にも、他の人にも、もっと多くの人にこの野菜を食べてもらいたい。

 

そうだ農家になろう! 32歳の決断だった。

 

その後平日は会社に、週末は父の圃場に通う日々が二年続き、本州転勤の内示を機に退社して本格的な農業研修を経て、千歳市の農地を取得して就農する事が出来た。

35歳の春だった。

 

実際に始まった農業。理想と現実のあまりの差に、目の前が真っ暗になった。自分の考えの甘さに吐き気がした。畑は草に飲み込まれ、野菜は虫に食われ、ジャガイモは収穫期を前に病気で腐った。父の教えの通りになんて、素人の自分には出来るはずもなかった。

それでも、わずかに収穫できた野菜達は確かに父の作る野菜の味がした。

ノウハウは受け継いだ。自分にも美味しい野菜は作れる。後は技術を習得して理想の畑を作り上げることが出来れば、と思った矢先、師である父が他界した。早すぎる死だった。

 

まだまだ聞きたい事が山ほどあったのに。理想の畑を作る手助けをしてもらうはずだったのに。もう終わりかもしれない。

途方に暮れるボクとは別に、父の他界を冷静に受け止めるボクがいた。

教わる事はもう教わったじゃないか。技術は経験する事で身につくものだ。枷が無くなってこれからは自由に出来るじゃないか。

自分の食べたい野菜を作り続ければいいんだ。間違えてない、やり続けるんだ。

 

あの時の思いは自分の意志ではなく、亡き父の声だったのかもしれない。

 

 

そして今日まで、この思いは変わらずに畑に這いつくばっている。父の背中を思い出しながら畑に這いつくばっている。多くの方々に支えられ、応援を頂き、感謝しながら這いつくばっている。

 

13年間かけてわかった事。

野菜は放っておいても生長するが、それでは美味しい野菜はできない。手を掛け過ぎても美味しい野菜はできない。野菜を作るのではなく、美味しい野菜ができる環境を作る事がボクの役目。野菜が美味しくなる手伝いをする事がボクの役目。

 

 

理想の畑は、まだできない。

 

 

 

( 絵 / Midori Kambara )

 

 

 

 

梅村 拓(うめむら たく)

 

農家

 

1968年生まれ恵庭市出身。

中学3年まで恵庭で育ち、高校時代の3年間を鹿児島県指宿市で過ごす。その後北海道に戻り大学進学。道内企業に就職し11年勤務の後、平成5年に千歳市で就農、現在に至る。

 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

EZOBITO TM 2017 All Rights Reserved. 

This website is supported by HOKKAIDO-OMIYAGE-TANKENTAI

http://www.rakuten.co.jp/hokkaido-omiyage/

​サイト内のすべてのイラストおよび文章の無断転用を禁止ず