デンマーク・コペンハーゲンの白夜には短い夜がある。

北緯は高いが、北極圏ではないので夜の11時頃になると陽が沈む。夜の10時になってもまだ陽が高いので人々はショッピングや散策を楽しんでいた。人間は時計の針が指す位置などではなく、陽の高さによって行動を決め、気分も影響を受けているのだと実感できた。

 

 

2003年の夏、私はイラク・バグダッドにいた。空爆によって破壊された学校の被害状況を調べてどのような援助が必要なのかを調査していた。

 

バグダッドの真夏は親知らずですら溶けるのではというほど暑い。最近、親知らずの抜歯手術でひどく苦しんだので、あの時に本当に溶けてれくれれば良かったのに、と思う。

日中の気温は50度を超えるし、頻繁に停電するのでエアコンのよく効いた車の中にいるのが一番安全だった。500mlの瓶ビールを二本も飲んだら脱水で死んでしまうと脅かされていたし、ボトリングされたミネラルウォーターも信用できなかったので缶入りのペプシコーラを二本ワンセットの一気飲みで体の渇きを癒していた。

 

モハンマドはその時運転手として一緒に仕事をしてくれていた。

空爆があるまでは自動車の修理工として働いていたそうだ。まだ幼かった3人の子供と英語教諭をしていた奥さんとの五人家族だった。奥さんも空爆で職場の学校が破壊されて仕事を失っていた。

 

(こういう書き方をすると、まるで誰かが不幸になってしまうように読めてしまうが、最後まで誰も亡くなるようなことはないので安心してほしい)

 

モハンマドが運転手として働き始めてからすぐに私たちは兄弟のように仲良くなった。英語のまったく話せないモハンマドだったが、コミュニケーションを決して諦めず、身振り手振りとはじけるような笑顔で私や他のスタッフの心を鷲掴みにした。

 

まだ20代の中頃だったモハンマドの頭頂部は見事に禿げ上がっていた。

当時30代前半の私の私も同じような風貌だったことも心を通わせる一助になったのかもしれない。

 

2003年のバグダッドもかなり危険だった。

いよいよ仕事や生活をするには危険を感じ、私は妻と娘のいる隣国ヨルダンに引き上げた。

その後、モハンマドが一度だけヨルダンに遊びに来てくれたことがある。私の娘に女の子の人形をプレゼントしてくれた。

 

1歳を越えたころの娘はそのプレゼントを喜んだ。

しかし突然泣き出すので振り返ってみると、さきほどまで綺麗なブロンドに包まれていた人形の頭部が見事に禿げ上がっていた。人形は前髪の部分だけ植毛され、それを後頭部で結ぶことで頭全体を覆っていたのだった。前髪だけが垂れ下がった落ち武者崩れの人形をかわいいと感じることは一歳の娘にも難しかったようだ。

 

それ以来、娘はその人形に一度も触ることはなかった。

 

2004年、家族三人で北海道に戻ってからはモハンマドとの交流は途絶えた。

北海道に戻った私は魚釣りばかりをしていた。フライフィッシングという釣りで、西洋毛バリ釣りとも呼ばれる通り、動物の毛などを使った疑似餌を用いて行う釣りだ。

 

フライフィッシングのことばかり考え続けて数年後のある日、Facebookに覚えのないイラク人からの友達リクエストが届いた。モハンマドの長男のイブラヒムからだった。プロフィール写真のイブラヒムは豊富な頭髪をたくわえていたが、顔は父親にそっくりだった。しかしマハンマドのイメージとは違いかなりのハンサムで、頭髪が持つ力をあらめて感じさせられたのだった。

 

イブラヒムのアカウントを通じてモハンマドとの交流が始まった。インターネットよ、ありがとう。モハンマドはひとりスウェーデンに移住し、難民認定を待っていた。子供たちと奥さんはバグダッドに残り、モハンマドの難民認定が認められる時をただただ待っていたようだ。

 

ある時、コペンハーゲンへの出張の機会があった。隣国のスウェーデンから駆けつけてくれたモハンマドとの6年ぶりの再会は熱烈なハグで果たした頃、ちょうどイスラム教のラマダーンの真最中だった。ラマダーンとはイスラム教の断食月で、陽が上っているころには、食べ物や飲み物はおろか、自分の唾を飲み込んだりタバコも吸ってはならない。空腹を味わうことで、貧しい人への思いを忘れないように、という教えがあるらしい。

 

陽が沈むとイスラム教徒たちは親戚の家に集まり、これでもか!と食べまくる。

血糖値の急上昇を毎日繰り返すのだから恐ろしい。

 

バグダッドでプロジェクトマネージャーをしていたYさんも当時コペンハーゲンを拠点に仕事をしていた。三人で会うのは2003年のバグダッド以来だ。

コペンハーゲンで日本人の経営する小さな寿司店で久しぶりの再会を祝うことにした。

 

コペンハーゲンには、マクドナルドはほとんどないのだけれども、寿司店は全ての角にあるのではないかというほど見かけた。図々しい私は、街でも道行く人に一番美味しい寿司屋を聞いて歩いた。Selfishはダントツ人気だった。テイクアウト専門ではあるのだが、カウンター数席と本当に申し訳程度のテーブル席がひとつ。男三人で座ると他のお客さんに強い威圧を与えるような気がして、できる限り体を小さく折りたたんで食事をした。

 

6年前とは違い、モハンマドは流暢な英語を話した。

イラクからからスウェーデンまで主に陸路でやってきたという彼は、途中で有ったことを話したくないと言った。思い出したくもないのだろう。スウェーデンでは自動車の修理工をしていると聞いた。会ったこともないその工場のオーナーに言いようもない感謝の気持ちが湧き上がった。

 

モハンマドは「間も無く難民認定も認められそうだ」と嬉しそうに笑った。

 

Selfishの寿司は少しも自分勝手ではなく、オーナーの細やかな仕事が施されていた。デンマークで食べるからうまいという寿司ではなく、日本で食べても美味しいお寿司だった。その頃私は家族を札幌に残してドバイで単身赴任をしていた。その後もコペンハーゲンに行くたびにSelfishに通った。その度に、たまにしか帰れない北海道を思い出した。場所柄ネタには限りがあってウニなどはなかったが、スペインからのマグロや地元のサーモンは脂の乗り方も最適で熱燗のとっくりがどんどん空になっていた。

 

私たちが食事をしている間にも、テイクアウトのお客さんが入れ替わり立ち代わりやってきた。

禿げたアジア人、体もスカンジナビアの人たちと同じくらい大きく豪快なアジア人が二人で酒を飲んで、禿げたアラブ人がニコニコしながら何も口にせずに話している姿は一体どのように映ったのだろうか。テイクアウトのオーダーがあがるまで、来客のすべてが私たち三人を見ながらどういう表情を作っていいのか戸惑っている様子だった。

 

繰り返すが、イスラム教徒はラマダーンは陽のあるうちには何も口にしてはならない。

もちろんお酒はいつでも絶対だめだ。

 

白夜のコペンハーゲンの陽が傾く頃、私もYさんもすっかり満腹になり、空になった熱燗の徳利が何本も並んだ。さてそろそろモハンマドの食べ物を頼もうか、という時Selfishの閉店時間が過ぎていることを告げられた。でもモハンマドは弾ける笑顔で「No Problem」と言った。私がアラビア語で「ムシケレ!(=問題だ!)」と返したら私の肩を叩いて大きく笑った。

 

 

数年後に居を札幌に移した私は、友人に小さな寿司屋さんに連れて行ってもらった。丞怜家(じょうれんや)という、ススキノの少しはずれにあるカウンターだけの本当に小さな寿司屋だ。誰かがトイレに立つ時は椅子から立ち上がって通路を作らないとならないほどの狭さだ。だから客同士は見知らぬものでも妙な連帯感を感じることができる。

 

丞怜家でハイボールを飲みながら、バグダッドを思い、あの時のコペンハーゲンの夜を思い出した。モハンマドは、スウェーデンに長男のイブラヒムだけ呼ぶことができたようだ。バグダッドに残した奥さんと二人の子供はどうしても呼べなかったようだ。そして今はスウェーデンで知り合った若い女性と結婚した、らしい。

 

人生ってそういうものかもしれないですね。

 

丞怜家(じょうれんや)

札幌市中央区南5条東1丁目11番地 1F

090-1380-1481(オーナーシェフ・今野さん)

 

 

(イラスト /  Midori Kambara)

 

 

 

栄花 均(えいが ひとし)

北海道ECサービス 代表 ECコンサルタント 

 

1972年北海道喜茂別町生まれ。札幌市を拠点に楽天市場やYahoo!ショッピングなど、オンラインショッピングモールの出店・運営支援のコンサルティングを行う。札幌以外では東京(8年くらい)、アメリカテネシー州(1年)、ドバイ(2年くらい)、イラクとヨルダン(1年半くらい)の居住経験。趣味は釣り。特技は健康的なダイエット。同姓みな親戚。

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