手紙



松本美穂(まつもと みほ)


株式会社川島旅館 取締役


1976年、函館市生まれ。

4歳から札幌に移り住む。札幌市立高等専門学校で環境デザインを学ぶ。

卒業後は(株)環境開発研究所に3年勤めた後、(株)ライヴ環境計画に勤め、2008年7月に退職するまで設計、まちづくりなどの業務に携わる。


代表的な仕事

道立サンピラーパーク事業 (名寄市に建設、本年開園の道立公園)

阿寒湖畔園地整備および基本計画策定業務

国営滝野すずらん丘陵公園管理運営検討業務 など

また07年には緑のデザイン賞で国土交通大臣賞受賞、08年には札幌市の姉妹都市ミュンヘン市(ドイツ)に渡航し作庭を行なった。


温泉入浴指導員

アンガーマネジメントキッズインストラクター

ローカルワークコーディネーター

2018年 北海道、北海道新聞主催第一回HATAJOアワードグランプリ



株式会社川島旅館取締役として会社経営を行っております。また、2016年全面リニューアルオープンいたしました新生川島旅館の三代目女将として日々お客様と接しながら、プリンやバターといった地元特産品の乳製品を活用した商品の製造販売を行っております。

そのかたわら、2児の母であり、2017年は子供たちと旅館で仔牛を育てるということにも挑戦しました。

独身時代、公園緑地やまちづくり、観光をターゲットとしたコンサルタントとして勤めておりました経験を活かしながら、豊富温泉のしくみづくりや、地域の子供たちの健康を豊富牛乳のアイスを通じて考えていく取り組みなどもはじめています。







人口190万人の札幌から1/500しか人のいない(でも牛は1万6千頭!)豊富町に嫁いで12年が経つ。

干支も一周。

あの頃は行ったこともなければ、どのあたりに存在しているのかもよくわからない町だったところに10年以上も暮らしているのだから、人生の予想なんてつかないものだ。

予想がつかないと言えば、去年の今頃、聞いたこともないウイルスの蔓延で、ここまで暮らしや仕事の環境が一転するなんて、想像もできなかった。


ただ、このコロナウイルスのことを除けば、北のはずれの小さな温泉街は順調に息を吹き返し、魅力や人が着実に増えていっていると感じる。


私がこのことを伝えてあげたい人が、2人いる。


札幌で勤めていた会社は、小さなコンサルタントながら、子ども達が遊ぶ小さな公園から地域づくり、観光、アグリスケープと幅広い分野を手掛けていた。

会社を立ち上げた社長と会長は、誠実で丁寧な仕事と人柄で、人と人との縁からはじまる取組みを大切にしていて、豊富町の仕事もそのひとつだった。

出張で豊富町を訪れるまで、私は豊富町がどんな町かも知らなかったけれど、どうやら会長は豊富町に思い入れが強かったようだった。

会長の奥様が豊富町出身で、奥様のお父様が豊富町を開拓する際に先頭に立った松川五郎氏であったと知ったのは、しばらく経ってからのことだった。

結婚が決まり、退職の希望をそろそろ伝えなければと思っていた矢先、まだ雪の解け切らない春のはじまりの頃。会長は私が豊富に嫁ぐとは知らず旅立ってしまった。


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会長。

私は豊富温泉で宿をやっています。

バブル崩壊と人口減少によって寂しい状況だった温泉街は、少しずつきれいになって、若い人たちが温泉街を歩くようになりました。

私たちの仕事は、「こうしたら地域はこのように良くなりますよ」と報告書にまとめることが主な仕事でしたが、今の私はそれを実践する側にいます。

そして、会長が若かりし頃、農地改良し、戦後の食糧基地を担っていたサロベツ湿原の再生も、着実に地域に定着し、新しいビジターセンターができていますよ。

目に見えないほど小さいウイルスは、私たちの暮らしや仕事を脅かしたけれど、そのお陰で私たちは、持続可能であることの大切さや、多様な選択肢を受け入れる懐の広さや、地球環境の、あたりまえではなく守ってゆかなくてはいけない姿を再認識することができました。

北のこの広大な湿原を、かつて開拓し、今自然に返していることに、時代が追い付いてきたということかもしれませんね。

活気を取り戻した温泉街や、変わらず美しく、利尻富士の麓に沈む夕日を、会長にもう一度見せてあげたい。

雪解けの頃私は、どうしてもそれを思ってしまうのです。





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もうひとりは、先代の川島旅館女将。

「温泉かあさん」と呼ばれて、温泉街の名物女将だった。

おおらかで明るく、優しく、懐の広い人柄。

年をとってからも酔っぱらいすぎてよく叱られていたけれど、お客様をお客様でなく、古い友人や家族のように迎えていて、泊まりにいらっしゃるお客様のほとんどが「かあさんにお土産」といってお菓子を持ってくるのが衝撃だった。

晩年はよきひいおばあちゃんであって、私の子どもたちとよく遊んでくれた。

温泉かあさんがよく言っていた言葉。

「仕事でもなんでも、その人にあたわってる(与えられている)もんなんだよなぁ」



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かあさんが旅立ってしまった直後に、新しい川島旅館はぶじ完成して、今でもちゃんと営業できています。

かあさんとお別れしてしまってから、私はよく「私に与えられたものってなんだろう」と考えるようになりました。

どうして私はここに嫁いできたんだろう。私の居場所はどうしてここにあったんだろう。

それを考えるとき、私はひとり、心に浮かぶ人がいます。

豊富を開拓した人。その娘さんは開拓使団の子ども達を面倒見ていたんだって。豊富ではじめてできた保育園に、できて何十年も経ってからだけど、私はほんとうに助けられた。

その娘さんと結婚した人は、戦後できた北海道開発の使命を受けて、この広大なサロベツ原野を開拓して、退職してから会社をつくって、晩年は農地を湿原に戻すように頑張っていらした。私はその会社でお世話になって、その会社で豊富温泉に出会いました。

たまたま、偶然が重なったのかもしれない。

でも、土にしみ込んだ汗とか涙とか想いとかが、私に繋がっていると、そんな気がしてしまいます。

だから

私に与わった勤めは、ここで、旅館も、温泉も、まちも、地域全体も、輝かせるために、バトンを受け継いで、汗を流しなさいよってことなんだと思う。


これから、もっともっとステキにしたい。ウイルスが蔓延しようが、何がおきようが、揺るがない。旅館も。ここも。





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余談ではありますが、北大ドイツ語コラー教師婦人より北海道で初めてスキーを紹介したのが松川五郎氏でありました。

週末の朝は、旅館の窓から見える小さなスキー場に、子ども達と出かけることにいたしましょう。



株式会社ライヴ環境計画 吉田恵治 前会長と

川島旅館 川島幸枝 二代目女将へ

感謝と変わらぬ愛をこめて。






( 絵 / Midori Kambara )




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