アルペンスキーの舞台裏より


吉和 隆(よしわ たかし)

株式会社ラージヒルプランニング 代表

61歳 札幌市在住

雪とスキーには縁の薄い瀬戸内育ち(広島県生まれ)。

1982年にリクルートに入社したのち1994年に北海道支社に転勤で札幌市民となる。

想定通り4年後には東京に異動していくつかの事業部を担当。

2004年に退社した後、ウェブマーケティング会社の代表を10年間経験し、

退任後に現在の会社を設立し主にマーケティングのお手伝いをしている。 趣味はコース整備(笑)と庭いじり。





「吉和さんの趣味は何ですか」と聞かれたら、即座に「コース整備です」と答える。

コース整備とはアルペンスキー(競技スキー)の世界のいわゆる裏方の仕事(ボランティア)である。なぜそのように答えるのかというと、アルペンスキーが日常生活の中に当たり前のように溶け込んでいるのは日本の大都市の中ではたぶん札幌だけで、多くの人が一生涯経験できないであろう生活がこの街ではできるんだよ、ということを自慢したいからだ。

ほとんどの人が見たことも経験したこともないであろうコース整備が趣味となったきっかけは、まだバブルの余韻が残る1994年。願いがかなって、札幌に転勤して来てすぐに長男がアルペンスキーの少年団に入団。その後、次男も普通にしゃべれるようになった頃には、同じ少年団でゲート(練習用にセットされた旗門)を滑っていた。

アルペンスキーというスポーツは、スキー場までの送り迎えなど親の援助なしにはできないわけで、おのずと親もスキーを履いてコースに出る機会も多くなる。とはいえ、競技スキーの経験など全くない親父たちにできることといえば、ポール(旗門)をセットしたり子どもたちが何度も滑って荒れたコースを整備することくらい。コース整備は、20~30人滑るごとにコースに入って横滑りやハの字(デラパージュということ後で知った)で荒れたコースを整地していく作業だ。それはそれで、子供たちが安全に滑るためには必要な仕事であって、コーチたちに要請されることもしばしばだ。

練習や大会のある週末には、必ず子どもたちと一緒にスキー場に出かけ、コース整備をしたりタイム計測をしたりする生活が約15年間続いた。その間、ご多分に漏れず人事異動によって札幌を離れざるを得ない期間もあったが、子どもたちの「絶対にスキーを続けたい」という強い希望で家族はそのまま札幌に残り、単身赴任生活を送った。しかし、その期間も毎週末には札幌に戻って子どもたちとのスキー生活を続けた(おかげでマイルは貯まりまくった)。結局、その時家族が札幌に残ったので、退職後には必然的に札幌に定住することになったのだ。

子どもたちが親の援助なしにはアルペンスキーができないのと同じように、少年団の運営にも父母の支援は欠かせない。先のコース整備やポールセットだけなく、練習や大会は普通のスキー場を借りて行うので、子どもたちだけでなく一般客の安全確保のためにコースを仕切るネットを張ったりもする。年に何度か行う少年団主催の大会では、スタートリストの作成から選手受付け、タイム計測、表彰状や賞品の準備など大会運営のすべてを父母とコーチたちで分担して行うのだ。ありがたいことに、父母たちは極めて協力的でそれらの作業に積極的に参加してくれた。

サッカーや野球の少年団なら全国どこでも経験できるが、アルペンスキーの少年団活動はできる地域も人も限られるだけに特別な体験だ。父母がとても協力的なのは、私と同様にそういった(ちょっと自慢できる)特別な体験ができることが動機付けになっていたのかもしれないと思ったりもする。

スタート地点からゴールまで、誰が一番早く降りてくるかを競うのがアルペンスキーというスポーツである。一人ずつ順番に滑ってくるので、ゴールする度に順位が変動する。自分の子どもが参加しているからという理由からだけではなく、そのドキドキ感は半端ない。先の平昌オリンピックでも、やはり一番注目したのはアルペンスキーだ。

数年先に札幌オリンピックが実現するなら、ぜひコース整備に参加したいと思う。それが子どもたちと思い切り楽しんできた、裏方スキー人生の締めくくりになるような気がする。

*文中の画像は吉和氏の次男でインターハイ出場時のもの(編集部注)

( 絵 / Midori Kambara )

#アルペン

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