

荒木敬仁(あらき たかひと)
厚沢部町役場農林商工課職員 猟師
26歳(2017年現在)、厚沢部町在住。
埼玉県出身。千葉大学園芸学部4年の2013年8月、厚沢部町に移住し、地域おこし協力隊になる。大学卒業後も協力隊の活動を続け、2016年4月より同町職員として勤務。ハンター修行中。趣味は家庭菜園とIOT。
ブログ『22歳、北海道の田舎に移住しました。』 ⇒ http://chiikiokosi.com/?p=17
日に日に寒くなるこの頃。厚めの上着を羽織り、外に出る。家の周りは真っ白に囲まれていた。寒い。雪を踏む音を聞いてか、飼っている鶏が遊んでくれ~とでもいうように鳴いた。
ちょうど4年前、私は埼玉県から厚沢部(あっさぶ)町に移住し、狩猟免許を取った。
移住して驚いたのは、自然豊かな山々に囲まれていること、そして、近所にハンターさんがいたことだ。住宅街であった埼玉の実家では会うことなどなかっただろう。
ハンターさんに話を聞いて、私も自分で食べる肉を獲りたい、“生きる力”を身に着けたいと思った。自給自足も考えていた私にとって、魅力的な存在だったのだ。
また、北海道ではエゾシカ被害の増大と、ハンターの減少から新たな狩猟者を歓迎してくれる風土があった。そうした後押しもあって、私は狩猟の世界に足を踏み入れることを決意した。
実際の狩猟は、教科書を読んでも分からない「現場経験ありき」の世界。当然、動物の習性や、痕跡など知らないド素人が山に飛び出たところで猟果には結びつかない。しかし、先輩が見かねて肉を分けてくださったり、現場での反省をもとに改善点を教えてくださったりして、少しずつ獲れるようになってきた。

初めて自分で手をかけた時がある。かけた罠に鹿がかかったのだ。
少し躊躇もあったが、心を落ち着かせて人差し指に力を入れる。大きな火薬音と共に、生き物が肉になった。刃物を入れ、あたたかさを感じながら丁寧にさばく。自ら手をかけなければ感じ得ないであろう「いただきます」を噛みしめた瞬間だった。
私たちはただ命を奪っているのではない。全国的に農山村では、抑えられないほど獣害が増えている。命と被害をてんびんにかける中で、考えさせられることは多い。
そうした葛藤や、経験などの一部をブログに書いている。ブログで公開すれば、時に残酷だという批判もあるが、現場の実態や葛藤も知ってほしい。狩猟の世界を覗ける“窓”を提供するつもりで続けている。
狩猟は時に泥臭いが、自然からの豊かな恩恵も得られるものだ。特に、山にいる時間は喧騒とした社会を忘れ「自然の中で生かされている」と感じるひとときでもある。
これからも地道に経験を積み重ねながら、北海道のこの地で精進していきたいと思っている。
( 絵 / Midori Kambara )