種(たね)を守り育てる農業者のこと。



宿田牧夫(しゅくだ まきお)

ブランディング・コンサルタント

1962年苫小牧市生まれ、豊浦町育ち。牛飼いのせがれ。酪農学園短期大学を卒業後、約半年間、礼文島の旅館でアルバイト。その後家業に就くが、事情により後継を断念。札幌でいろいろな作業員、トラックの運転手、コンビニの店員、夜のお仕事、情報誌編集、広告プロデュース、レストランチェーン本部勤務などを経て、10年ほど前よりブランディングコンサルタントを本業とする。現在はいずれも札幌に拠点を構える青果販売会社、乳業会社、テレビ・ラジオ局などの仕事に携わる。月刊誌「O.tone(オトン)」に対談記事「YES!農」を連載中。




数年前、フェイスブックがきっかけで、「昔トウキビ」なるものを永年にわたり栽培・直売している農業者と繋がりができた。「トウキビ」とはトウモロコシのこと。唐辛子の類を「ナンバン」と呼び、「イモ」と言えばほぼ例外なく馬鈴薯のことを指す。これが北海道の標準語だ。

さて。その、昔トウキビの農業者とは、積丹半島の付け根に位置する仁木という町で、直売店を併設する「紅果園(こうかえん)」という農園の主を務める、寒河江 仁(さがえ ひとし)さんだ。

昔トウキビという言霊に導かれ、通信上で、さらには現地を訪れて、まつわる実にさまざまな話を交わした。いや過去形ではなくいつしかそれは、この地に生きる、おやぢとおやぢの交流となって、今も進行している。

昔トウキビの品種名は「ゴールデン・クロス・バンタム」という。戦後アメリカから導入され今から20数年前まで、日本のトウキビの代表格として永く親しまれてきた、昭和の晩夏の味だ。

透明感のある黄色の一粒一粒は、噛むほどに粘りが増してゆき、同時に甘味、旨味、コク、香りのすべてが、ゆっくり、ゆっくりと、深くやさしく広がり続ける。そう、それは、ちゃんとしたおにぎりやフランスパンのような感じだ。

しかし昔トウキビを実際に食べたなら、鮮烈なインパクトを伴って甘味がスパークする今どきのトウキビと比べて、物足りなさを感じるという向きは少なくはないだろう。

時代は、よりインパクトのある甘さを重視した味わいのトウキビへと突き進んでいる。ゴールデン・クロス・バンタムに替わって主役に躍り出たのは、「ハニー・バンタム」。その後、甘さを競い合いながら、じつに多くの品種のトウキビが誕生と消滅を繰り返し現在に至っている。

トウキビは、主食に近い存在から、フルーツや菓子に近いものへと変わりつつある。このことに多少なりとも違和感を抱くのは、ぼくだけだろうか。

いま日本では、世界では、大多数の農作物が、種や苗を専門に開発・生産・販売する会社から好みのものを選んで購入し、栽培が繰り返されている。それらの品種のほとんどが繁殖能力を持たないので、栽培する者は翌年また種や苗を買う。この連鎖に文句をつける気はないが、種や苗をつくる会社が根本的な力を持って地球上の農業を支配している、というのが今の世の中だ。これは、種や苗をつくる者が食料の根っこを握っていることを意味する。

昔トウキビは、人間の都合による品種改良が軽度の農作物なので、繁殖能力を備えている。が、この種はもうどこにも売っていない。だから寒河江さんは、自らの手で昔トウキビの種を守り、育てている。しかしそれは並大抵のことではない。日々、想像を絶する努力と格闘の積み重ねの上に成り立っていることだけは記しておきたい。

この時代にあって、寒河江さんはなぜ、時代遅れというべきトウキビの種を守り、育て続けているのか。

いつだったかぽつりと言った寒河江さんのこんな言葉が、ぼくの心の真ん中に焼きついている。

「意味のある食べものをつくること。これが、農業者の務めだし、なによりの喜びなんだよなあ」

自分もいつか、こんな意味のある言葉をさらりと言ってみたい。そんな下心を胸に、年に一度は、ふらりと稲穂峠の麓の農園に向かう。そして、おやぢとおやぢはおもむろに、意味深長な四方山話を交わすのである。昔トウキビを肴に。

( 絵 / Midori Kambara )


#昔トウキビ

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